2/王国

 紅色を基調とした内装を、柔らかいランプの灯りが照らす。十数人が囲んで座るテーブルの中央には火が灯された蝋燭と赤色の宝石で作られた装飾品の数々が置かれており、この部屋の格式の高さを感じさせる。
 大臣たちの談論を聴きながら、デュークは酷く苛立っていた。他の誰々に対してという訳ではない。一人の力ではやはり目の前の面々を動かすことはできないのだろうか。己の非力さに、どうしようもなく急き立てられている。

 クレイウス王国。元々は雪原が広がっていたこの地に住む民族たちを騎士団が統一し成立した国である。現国王であるヨーゼフ王は体調を崩し、現在は官僚と王家関係者から成る政務機関が立ち上げられ、内政を代わりに行っている状態である。第一王子の側近として王家に仕えるデュークもその中の一人であり、こうして定期的に開かれる会合に参加している。
 目下の議題は王位継承問題である。王が重い病を患い危険な状態にある今、次の代の為政者を決めることは何よりも重要な話である。直系の王族であり長男のアルフィリアと妾の子である次男のロベルト。どちらが次の王に相応しい身分かは誰が見ても一目瞭然で、王にもしものことがあっても円滑に事が運ぶはずだった。
 ある時ロベルトが提唱した魔法技術導入論が、城の内部までも二分するほどの大きな論争を巻き起こす。そしてそれは少数民族までも巻き込む、一種の内紛状態となっていった。
 クレイウスの民は元々魔法とはほぼ無縁の生活をしてきたが、「神の恵みである魔法があれば国が更に発展する」と主張する人間もいれば「昔からある生活を守り続けていくべきだ」という意見もあった。それは大臣たちも同じであった。伝統的な暮らしの保護を訴えるアルフィリア派と、魔法を取り入れるべきだと唱えるロベルト派の二つに分裂した。初めの方こそどちらも同程度の勢力であったが、今は過半数がロベルトを支持している。
 アルフィリアに王位を継承させ、彼の国に対する思いを尊重し実現へと導くこと。それがデュークの使命だった。だが、一度撒かれた火種はそう簡単に消えるはずもなく、アルフィリアを支持する者は会合を重ねるごとに減っているというのが現状である。

 今日、二人の王子はこの場にはいない。昨夜から僅かな側近と兵士たちを連れて王都の外を見て回っている。デュークも同行させて欲しいと強く申し出たが、「自分の代わりに会合に出席してほしい」というアルフィリアの頼みを引き受ける形で王宮へと残った。
 デュークは、皆に伝えてくれとアルフィリア王子に渡された伝言を読み上げた。大臣たちの反応は予想通りで、賛同しかねる、という声が多数であった。
「少し良いかしら」
 続けてデュークは個人の意見を述べようとしたが、それは叶わなかった。凛としたソプラノが場の重苦しい空気を破る。一人の赤髪の女性が椅子から立ち上がると、それまで騒々しかった他の大臣たちは一斉に沈黙した。
 イリーナ・シャロノヴァ。一介のメイドとして働いていた彼女が、ロベルトの意向で突然侍女として雇い入れられたのは記憶に新しい。聞けば彼女は東の地方で有名な貴族の娘なのだという。きっと混み入った事情があるのだろうと、王族の側近たちは皆口々に言ったものだ。最年少と言うべき若さであるが気が強く、年上の大臣にも率直な意見を述べる姿は、ロベルトへの絶対的忠誠を窺わせる。王宮にやってきた直後は他の側近たちからも孤立していたが、今では彼女の話術に感化されてロベルトを支持し始める者も多い。
 しかし、デュークは彼らの意見を肯定するつもりは全くない。彼らが大衆の前では見せない残忍な素顔に、デュークは気付いている。独断で軍を動かし村を丸ごと壊滅させ生き残った人々を地下に閉じ込めていること、その他権力を利用して行ってきた数々の非人道的な行為も知っている。だからこそ、ロベルトを次の国王にすることは決して許されるものではない。
「何か異論でもあるのですか」
 デュークは毅然とした態度を取る。イリーナには場の空気を持たせてはならない。
「ええ。あなた方の日和見主義には些か呆れますよ、アルトマン公爵。クレイウスを強国に育てたいという王やロベルト様のご意向とは、大きくかけ離れていますしね」
 彼女は淡々と述べた。このくらいの暴言はもう慣れたものである。イリーナは周囲の大臣たちを見回すとそのまま語り始める。その声には、誰の抗弁も許さないというような響きがあった。
「この国を大きくする方法は唯一つです。それは、他国を吸収すること。そのためには、この国の基盤をより強固にしなければなりません。私どもが何度も申し上げてきたように、今の人的資源に頼りきりの軍備ではもう、他の国には太刀打ちできません。勝てないどころか踏みつけにされるでしょうね。クレイウスは遅れているのだと、そこかしこで既に言われているのですよ」
 沈黙していたロベルト派の大臣たちが一斉に野次を飛ばす。イリーナは真っ直ぐに私の目を見つめた。紫紺の瞳が、雄弁に語る。私たちの活路はただ一つのみである、と。
「何度だって言いましょう。私たちは魔法を早急に取り入れるべきです」
「—失礼ながら閣下。話の腰を折るようで心苦しいのですが、我々クレイウス王国はどのような国と主に物資のやり取りをしているのか、ご存知でしょうか」
「あら、それぐらいの質問にこの私が答えられないと思って?」
 デュークの言葉にイリーナはわざとらしく不快そうに顔をしかめてみせた。彼女が答えるより先に切り出す。
「まさか。知らないはずはないと思っていますよ。様々な国との交流や貿易がありますが、この地方は我が国も含めて魔術が発達していない国がほとんどです。その中には、それなりの力を持ちながらも魔法をよしとしない国もあります。敵に回すとどれだけ恐ろしい事態を招くか、議論を待つまでもないでしょう。他の方法を模索すべきです」
「いつまでもそのように及び腰の外交をしていては、この国の将来も思いやられますわね。いつ近隣の国々に攻め込まれても仕方ない状況なのですよ。いくら我が国の軍が優秀であったとしても、どんなに巧く作られた武器を持っていたとしても、人智を超えた力には敵わないのですから」
「ですが、直ちに魔法を軍隊に使わせるというのは無理があります。習得には途方もない時間がかかります。中には魔術を扱う素質が無い人間だっているでしょう」
 魔法を国のために利用すること、それ自体は決して悪いことではないのだ。周辺には王宮専属の魔術師を置いている国々もある。どんな道具にも技術にも共通して言えることだが、特に魔法は、扱う人間によっては正義にも悪にもなり得るものだ。
 もしもロベルトやイリーナが——この今でさえ民衆を顧みない残忍な行いをしている人間が、魔法という強大な力を手にしてしまったなら。今以上に禍いが広がることは容易に予想ができた。
「あなた方の考えは、全て、余りにも性急過ぎる」
 デュークは、自分の口から発せられる言葉がより一層強くなるのを感じた。
「随分と心配事が多いのね、あなた方は。安心なさい。私は何人もの偉大な魔術師との繋がりを持っています。彼らは私の頼みに『クレイウスの発展に尽くすための用意はいつでもできている』と胸を張って言いました。このように強力な後ろ盾があれば、一から魔法を普及させるよりはずっと負担は軽くなりますわ」
「私が言いたいのはそういう事ではなく——」
「彼女がそう仰っているのだからもう良いだろう、公爵閣下。気持ちは十分解るが、先日のようにまた決められた時間を超過してもらっては困るぞ」
 一人の老臣が、デュークに向かって一言戒める。それを聞くとイリーナは、デュークに見えるように薄く微笑み、再び席に着く。彼も仕方なく席に着いた。
 いくら訴えても捻じ伏せられるこの状況に、嫌気が差していた。この国に残虐な王が生まれてしまうのを黙って見ていることしかできないのだろうか。
 デュークとイリーナが議論を止めたその時、一人の下働きが駆け込んできた。何事かと一人の大臣が問うと「彼らが脱走した」と彼は息も絶え絶えに告げた。途端に室内が騒がしくなる。大臣たちのどよめきの中で、忌々しく顔を歪めるイリーナの姿を見た。
「……今夜はこの辺りでお開きのようですわね、公爵。あなたのお話は、後ほどゆっくりとお聞きするとしましょうか」
 イリーナはそう言うと足早に大広間を後にした。デュークも立場上、これから現場の状況を確かめに地下へ向かわなくてはならない。
 そして、アルフィリアが遠征から帰還したら、真っ先に伝えなくてはならない。
 この国を危機から救い出すための鍵は、まだ壊れていないかもしれないということ。
 無論、これはただの直感でしかない。しかし、この劇的な脱走をきっかけに何かを変えられるかもしれないという希望を、デュークはどうしても抱かずにはいられなかった。


「……ゼロ、か」
 何度も噛み締めるように俺の名前を口に出すツヴァイク。そんな彼を訝しげに見つめるテラ。部屋の中に漂う妙な雰囲気に居心地が悪い俺。
「人の名前を何度も呼ぶなって。恥ずかしいだろーが」

 あれから飯の準備やら部屋の片付けやらでいきなり働かされ、気が付けばもう日が沈んでいた。俺が自分の名前を告げてからというもの、ツヴァイクは時折こうして考え込んでいる。確かに俺の名前はこの国ではあまり聞き慣れない音なのだと昔に聞いたことがあるから、珍しく見られるのも当たり前なのかもしれない。
 結局、王宮軍の警備が落ち着くまではこの家に住まわせてもらえる事になった。そもそも何故こんなに不便な所に住んでいるのか、二人は一体何者なのか、他にも不思議に感じるところは山ほどある。しかし、俺の身の安全は保障するという事なのでそこは信用したいと思う。
  
 片付けなどが全て済んだ後、ツヴァイクが俺とテラを居間に集めた。テーブルの周りにはツヴァイクに教わりながら俺が淹れたコーヒーの香りが漂っている。
「さて、ここからは重要な話だ。ゼロ、お前としても俺達の素性が分からないのは不安だろう。だが俺達としても、お前がどんな人間なのかは知っておきたい」
 今朝に比べると、ツヴァイクの声は幾分か穏やかになっているが、眼帯で隠されていない方の目の奥には明らかな拒絶の意思を感じた。匿ってもらっている以上は自分から話すのが義理だろうと判断し、じゃあ俺から、と話す。
「さっきも話した通り、俺は数年前に消されたあの村に住んでいた。あの時俺は他の多数の村人と共に王宮の奴らに捕えられ、地下で五年ほど過ごした。それ以上話すことはない」
「本当にそれだけか?」
 尚もこちらを窺う素振りを見せるツヴァイクの態度に何となく腹が立ち、ああそうだ、とだけ言い返す。本当にそうだ。今しがた知り合ったばかりの人間にこれ以上話せることは何もない。
「ならいい。俺は城下町から移ってきた者だ。テラとは彼が十二歳の頃に出会った。丁度五年前の話だ」
「五年前に十二歳、ってことはお前、俺と同じぐらいの歳じゃないか?」
 テラはこちらをちらりと見ると、特に興味がないといった表情をしてまた目を逸らす。気難しい性格なのだろうか。
「俺達の話も以上だ。何か聞きたいことは?」
 俺は出会った時から気になっていた疑問を投げかけた。
「完全に興味本位なんだが、お前はどうして片目を隠してるんだ?」
「君の知るところじゃない。発言を撤回して」
 声のした方を見れば、俺の右側に座っていたテラがじっと俺を睨み付けていた。その淡い桃色の瞳は、明らかな敵意を俺に向けている。
「わ、分かった……ごめん、聞かなかったことにしてくれ」
「程々にしてくれ、お前も」
 少し呆れたように肩を竦めるツヴァイクと、やはり苛立ちを露わにするテラ。よくよく考えればおかしな話だ。俺はツヴァイクに向けて質問をしたのであって、彼は一切関係ないはずである。ということを口に出そうものなら右隣から拳が飛んで来そうな程の張り詰めた雰囲気である。俺は言われた通り発言を撤回する。怖い怖いと見た目で判断されがちだが、こう見えて俺は平和主義なのだ。不用意な争いは避けて通りたい性格の人間なのだ。
「その辺にしたらどうだ。よく聞かれることだし、俺も気を悪くしたりはしていない。ゼロも完全に興味本位だって最初に言っていたじゃないか」
「その興味本位が癪に障るんだ。君にツヴァイクの全てを知る権利なんてないよ。お尋ね者はお尋ね者らしく、部屋の隅で大人しく怯えていればいい」
 恐ろしい剣幕でそう言い放つと、余程俺が気に食わなかったのか、テラは席を立ち自分の部屋へと戻っていってしまった。静まり返った部屋にツヴァイクの溜め息が響く。
「はぁ……何なんだよ、あいつ……」
「多少は大目に見てやってくれ。くれぐれも喧嘩しすぎるなよ」
 俺はというと、ただただ絶句していた。この先あいつと生活を共にしなくてはならないと考えると気が滅入りそうだった。
 前途多難だな。そう呟き、ツヴァイクはコーヒーの入ったカップに口を付けた。

 翌朝もテラの視線が痛い。皿の片付け方をツヴァイクに聞いただけなのにじろりと見つめられ、ツヴァイクに話しかけられただけで俺に聞こえるように舌打ちされ、挙げ句の果てに、すれ違い様に「皿の片付け方も分からないとはね。君の親の顔が見てみたいくらいだ」と耳元で嫌味を言われる始末だ。俺は確信した——これは間違いなく新人いびりだ。
 一方のツヴァイクはというと、全くの無反応である。「行き過ぎた言動は止める」という床に就く前に言われた言葉を信用しきっていたものだから尚更腹が立ったが、そこはぐっと堪えた。やるじゃないか俺。

 朝食を済ませテラが自室に戻った後、ツヴァイクから声を掛けられた。
「間違っても再び村人を助けに行こうとは思うなよ」
「……分かってるよ」
 口ではそう言ったものの、心中は穏やかではなかった。
 やはり俺には、多数の同胞を見捨てるなどという事は出来ない。俺を信じて無謀な作戦に乗ってくれた人々の思いは無駄には出来ない。必ず救える、そう思っていたからこその選択だ。
 だが、ツヴァイクには俺の抱える思いを見透かされている。口振りから王族を嫌っているということは分かるのだが、到底協力して貰えるとは思っていなかった。
 それに、俺にはほかの人間には絶対に言えないもう一つの目的があった。しかし、このままではその準備すらもまともにできそうにない。あの日、鉄格子の中、樽をひっくり返したような雨を見つめながら感じた高揚感を、あと二回味わえなければ、本当の意味で俺は自由を手にしたことにはならない。だから、俺は機会を窺っていた。一度外に出ることの出来る機会を。

 やがて俺は、この過信と勘定がどれほど愚かだったのかを、その身をもって知ることとなる。

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