5/話がしたかった

 俺とテラは、デュークに詳しい話を聞くために彼を家に案内することにした。道中で「家に入れていいのかよ」とテラに耳打ちしたが、テラは険しい顔をしながらも「ツヴァイクが帰るまでにはどうにかしよう」としか言わなかった。そんなに短時間でどうにかなる問題ではないだろうと、俺は不安を覚える。
 最も気掛かりなのは、なぜデュークが俺に接触を図り、妹の存在を知っているのかということだった。話を聞けばデュークは王家の関係者で、王宮にまつわる問題を紐解いていくうちに王宮を追放されたのだという。
「私は彼の悪事を暴くために力を尽くしていたのだが、失敗に終わってしまった。立ち向かうために、こうして協力者を探している」

 俺たちは、デュークから一通りの説明を受けた。村の襲撃事件の首謀者はクレイウスの第二王子であるロベルトという人物であること。その影響力は今や兄である第一王子を凌ぐ勢いであり、デュークはロベルトの謀略によって王宮を追われたこと。
 にわかに信じられる話ではなかった。しかし、王宮の中で二つの勢力が争っていることが事実ならば、俺の認識と実情はかなりかけ離れていることになる。村を形も残らず滅ぼすことが王宮の人間たちの総意であった、そう思っていたからだ。
「ここに民家があることを知っていたのですか」
 俺が頭の中で整理を試みている間、テラが静かに尋ねた。
「いや、偶然だ。今日は城下町の外を見て回っていたのだが、その途中で君たちを見かけた。君の……ゼロの髪を見て、村の関係者だとわかった」
 デュークの言葉はもっともらしく聞こえたが、俺は直感的に疑念を抱いた。王家に重用されるほどの人物が、そんな無計画なことをするだろうか。それに、俺の名前を知っていることの説明にもならない。彼にも思惑があるに違いなかかった。

 俺は、ここで何を切り出そうかと考える。もっと本質的な話が聞きたい。デュークが成し遂げたいことは何か。俺が村の人間だと知った上で協力を請う理由は何なのだろうか。
「つまりお前は、ロベルトって奴を引き摺り下ろしたいんだな。お前の主人を立てるために」
「ああ、認識としては正しい」
「じゃあ、奴が表舞台から降りたなら、俺たちの苦しみもなくなるのか?」
 ”俺たち”を強調しながら俺は問う。俺がここにいられるのは、運が良かっただけだ。そうでない村人たちは今も迫害を受け、過酷な日々を送っている。生きたくても生きられなかった人だっているだろう。離れ離れになった俺の家族。王宮の施設で共に過ごした村人たち。名前も知らない、同郷の仲間たち。たくさんの人の顔や記憶が一瞬のうちに去来し、俺の語気はますます強くなる。
「もう誰も苦しまずに平和に生きていけるんだと、約束してくれるのか?」
 デュークはじっと俺の目を見つめて、一言一言を噛み締めるようにして聞いてくれた。そして、貴族らしくはっきりとした口調で話し始める。
「アルフィリア王子は、彼がもたらした惨劇にひどく心を痛めておられる。必ずや君たちを、光ある方へ導いてくださるだろう」
 そこまで語ったところでデュークは、より真剣な表情を見せる。
「……私は後悔している。当時は力が及ばずに、村民たちに対する軍の愚行を止められなかった。ここで誰も立ち上がらなければ、この国はいずれ破滅するだろう。是正する機会は今しかない。そのためならば、何を失っても構わない覚悟だ」
 先ほどよりも威厳と落ち着きを持った語り口で、彼は言う。彼の言葉は、俺が持っていた貴族に対しての印象を変え始める。
 まだ彼のことを完全には信用できない。しかし、王宮の人間は全員悪であるという考えが揺らぎ始めたのも確かだ。彼の発する声には、確固たる正義が宿っているのを感じる。
「お前はどう思う? テラ」
俺はあえてテラに話を振ってみた。彼と村は無関係だ。だからこそ彼の意見を聞いてみたかった。
「……申し訳ないけれど、危険を冒してまで戦う理由は僕にはない」テラは言葉を選びながらも、冷静に言った。
「君は手配されている身だ。ツヴァイクだってきっと良い顔をしない。君だけで決断していいことではないと思う」
 またあいつかよ、と俺はなぜか嫌な気分がした。テラにも思うところがあって名前を出したのだろうが、俺の行動に責任を持つべきは俺自身だ。ツヴァイクではない。
 第三者の名前が出たことを不思議に思ったのだろう。デュークは「この家には他にも住人がいるのか」と尋ねてきた。
「ああ、いるよ」「今は出かけています」俺とテラで口々に答えた。それ以上は何も言わない方がいいだろうという共通の認識が、俺たちの間にはあった。
 テラが言った通り、ツヴァイクがもうすぐ帰るはずだった。彼らがこの室内で鉢合わせることは避けたい。時間がない。

「それと、お前にもうひとつ聞きたい。どうして、お前が俺の妹のことを————」
俺がずっと気になっていたことを、デュークから聞き出そうとしたときだった。

 場を引き裂くように、何かが激しく破裂した音が走った。突然のことに肩がぶるっと震え、全身が急に水をかけられたように冷えていく。
振り返ると、そこにはツヴァイクの姿があった。彼が左手に掲げている物体を俺は知らなかった。デュークが背にして立っていた白壁には、小さな穴が痛々しく空いていた。何かが焦げたような臭いも微かに漂っている。
「部外者は入れないという決まりだっただろう。テラ」
 声つきは、他人を非難するときのそれだ。名前を呼ばれたテラは一瞬体を固くして、ばつが悪そうに視線を落とす。
「珍しい武器をお持ちのようだ」
 ツヴァイクに標的にされたにも関わらず、デュークは平然と構えていた。微笑すら浮かべている。
「西の方で開発が盛んだと聞く、クレイウスでは滅多に出回らない代物だな。私も実物をこんなに近くで見たのは初めてだ」
「御託はいい。名を名乗れ」
「私はデューク・アルトマン。アルフィリア王子に仕える者だが、今は訳あって王宮を追われた身だ」
「……ルスグートの領主か」
 ツヴァイクは忌々しげに呟く。ルスグートとは確か、王都の東方に位置する中規模都市だ。クレイウスの貴族事情に詳しくない俺でも、デュークは相当な身分を持つ貴族なのだと察した。
「私の名前を聞いただけでその地名が出てくるとは。さすが、と言うべきだろうか」
「常識だ。こいつらに接触した目的を話せ」
「あなた方はリェス・ドゥガー村についてよく知っているだろう」
 ツヴァイクの圧迫的な態度にも臆することなく、デュークは語り出す。
「五年前の王宮軍による侵略。その元凶となった人物を私は知っている。私はその人物を討つために独自に動いている者だ」
 デュークが村について言及し始めると、ツヴァイクはわずかに眉根を寄せた。
「どうか、力を貸してはもらえないだろうか」
 そうして、デュークは頭を下げようとした。その言動がひどく気に障ったのだろう。さっきよりも嫌悪感を露わにした声で、ツヴァイクはデュークに向けて言い放った。
「忘れたわけではないだろうな、お前たちがしてきたことを。頭さえ下げれば手を貸してもらえるとでも思ったか。貴族というものは大層なご身分だ」
 ツヴァイクの言い分だって、間違ってはいない。貴族と平民の間の格差は激しい。彼らの平民を顧みない政治の中で犠牲を被った人々は少なくないだろう。
「協力してやる気はないし、こいつらと関わることも認めない。お引き取り願おうか」
「おい。せめて話を全部聞いてから判断しろよ」
 ツヴァイクの言い分が間違いではないとしても、彼の有無を言わせない態度は我慢ならなかった。俺はデュークとツヴァイクの間に割って入った。ツヴァイクは俺に対しても鋭い眼差しを向けて言う。
「お前だって王族や国を憎いと思っているはずだ。聞く耳など持たなくていい」
「……そりゃあ、許したくない。散々嫌な目に遭わされてきた。だからこそ今、戦わなきゃいけないんじゃねえのか。戦える奴が戦わねえと、今も酷い目に遭っている村人たちがいるんだ」
「戦って、何か成し遂げられたか。魔術師でも戦士でもない人間がたかだか数人集まったところで、奴らの相手になると思うか。お前は近頃その身でよく感じてきたはずだ」
 言葉に詰まる。その通りだ。デュークの話がすべて本当だとしたら、このまま黙っていられるわけがなかった。
 それなのに、俺はあまりにも無力だ。俺だけでなく、この部屋にいる誰もが。
「たとえ王族が皆殺しにされようが、別の連中に乗っ取られようが、この国が滅びようが、俺は構わない」
 ツヴァイクはデュークに再び向き直る。そして、先ほど鋭い破裂音を響かせた黒い物体を、再びデュークの眼前に突きつけた。
「ここから立ち去れ。次はないぞ」
 下手にツヴァイクを刺激すればきっと良くないことが起きると、瞬時に理解した。俺はただ、ふたりを見つめることしかできなかった。
「そうか。残念だ、ローゼンツヴァイク殿」
 一瞬の沈黙の後、デュークがそう口にした途端、俺は驚きのあまり息が止まる心地がした。名前を呼ばれた当人は何も口にすることはなく、ただデュークを冷たく見つめている。

 その名前を、俺は知っていた。故郷の村を取り仕切っていた三つの一族のひとつ。そして、今目の前にいる人物に出会うのは初めてではないことに、今更ながら俺は気づいてしまった。
 ——どうして、いままでわからなかった?
 片目を隠していようと、姿が変わっていようと、俺にとって絶対に忘れてはならない人間であるはずだった。

 ユーリ・ローゼンツヴァイク。
「その名前で呼ぶな。貴様らが、奪った名前で」
 彼は、静かに吠えた。

 ぐわん、と頭を強く打たれたような衝撃を感じて、俺はその場に立っていられず壁にもたれかかった。後ろにいたテラが心配そうな顔で話しかけてきたが、何も頭に入ってこない。
 胸が激しく張り詰めてくる。どくどくと全身の血が喚く音が頭の中を圧迫する。封じ込めていた感情が噴き出ようとする。
 憎い。憎むべき相手が、いま俺の目の前にいる。

 辛いことはもう忘れてしまいたいと思いながら生きてきた。
 村にいた頃、御三家の人間たちは俺を出来損ないだと呼んだ。立てなくなるまで暴力を振るわれたこともあった。幸か不幸か、王宮軍による村への襲撃で惨めな生活から一旦解放されたのだが、恨みは年々積もるばかりだった。
 あいつらさえいなければ俺は家族と平穏な暮らしが送れた。あいつらさえいなければ俺は忌々しい風習のせいでぼろぼろになることもなかった。
 ——だが、ユーリ・ローゼンツヴァイクという男は。
 俺の記憶が正しければ、あの時、直接暴力を振るってはいない。当時の彼との間に決定的な何かがあったわけではない。
 ただ、そこで見ていただけだ。
 だが、そこで見ていただけでも同罪だ。何もしてくれなかったのだから。


「ゆっくり、息を吸って。吐いて」
 すぐそばでテラの声がする。その言葉の輪郭は聞き取れるが、ずっとぼんやりとしていて、意味が頭に入らない。
「顔色が悪いよ、ゼロ。大丈夫?」
「……っ、ああ」
 声がうまく出ない。応答をするので精一杯だ。
 だけど、俺は聞かなくてはならない。彼のこれまでの行動の意味を、彼の口から確かめなければならない。
「……なあ、ツヴァイク」
 ひどく掠れた声で俺はツヴァイクへと呼びかけた。額に汗が滲む。
「たしかに、俺はお前に救われたよ」
 俺はいま、冷静でなければならない。
「お前があの日の夜、俺を見つけてくれなかったら、俺は死んでた。それは、お前に感謝すべきだと思ってる」
 怒りに身を任せてはいけない。
「お前がデュークを嫌がる気持ちも理解できる。俺だって、長い間閉じ込められてひどい扱いを受けて、それでも平気な顔をしているあいつらを許せない」
 少しずつ言葉にして、はっきりさせなければならない。
「だけどさ……何でこんな、大事なことを黙ってたんだよ。お前が、村の奴だったなんて。俺のことをずっと前から知ってたなんて」
 彼もそうやって、向き合ってくれるものだと思っていた。リェス・ドゥガーという村が抱えていた歪に。

「まさか、本当に気づいていなかったとはな」

淡々と発せられた彼の言葉に、俺の期待は打ち砕かれる。ただ愕然とするまま、震える声で俺は問う。
「一体何のつもりだ? 俺が言い出さなければ、嘘をついたままでいたのかよ」
「ああ、そうだ」
 平然と、ツヴァイクはそう言った。
「村のことは思い出さずに生きるのが、お前にとっての幸せだ」
 だけどここで、耳奥でなにかがちぎれる音がした。
「……お前、自分に俺の生き方を決める権利があるとでも思ってんのか?」
 俺は返事も待たずに、ツヴァイクのもとへと一歩踏み出す。
「そんなつもりはない。だが、俺はただ——」
「黙れよ。どの面下げて俺の前に現れてんだ」
 気がつけば俺は、彼の襟元を引き掴んで罵声を叩きつけていた。
「俺はお前が憎い。俺と同じ目に遭わせたいぐらい憎い。一生消えない傷をお前らは俺に負わせた。お前らのせいで、俺は人間でいられなかった!」
 止めどなく溢れてくる怒りに任せて、俺は叫んだ。
 彼だって、いずれこうなることはわかっていたはずだ。嘘をつき続ければいつかは綻びが生まれる。露呈すれば、取り返しのつかないほど深い溝が生まれる。
「今更俺を救おうったって、俺の目にはただの罪滅ぼしにしか映らねえ。昔っからお前ら御三家はそうだ。その傲慢さが、物心ついた時から俺は嫌いだった。ずっとだ」
 嫌いだ、と言いながら、掴んでいた服を荒く手離した。
 彼の言葉が聞きたかった。デュークと相対していた数分前のように、本心から出た言葉が。否定をしてほしかった。俺の身の安全の確保と引き換えに自分だけ許されようとしていたのではないと、形だけでも言ってほしかった。
 しかし、ツヴァイクは何も言わなかった。何も言わないばかりではなく、その場から立ち去ろうとした。
「おい、逃げるのかよ」
「……今のお前と俺では、話をするのは無理だ」
「は……? どういうことだ! 答えろ!」
 立ち去ろうとするツヴァイクの腕を掴もうと俺は手を伸ばしたが、ツヴァイクはそれを乱暴に振り払った。振り返った時のぞっとするほどの鋭い視線に射すくめられ、恨み言のひとつも言い出すことができなかった。
 テラやデュークにも目もくれず、ツヴァイクは足早に玄関へ向かう。扉が閉まる音が、虚しく室内に響いた。
「……っ、くそッ……!」
 壁を蹴り飛ばしても、行き場のない悔しさは消えない。

 日が傾き始めていた。部屋の中を西日がぎらぎらと照らしている。ツヴァイクが戻ってくる気配はない。ぎこちない空気の中、時間だけが無為に過ぎていく。
 俺はというと、すっかり疲れてしまった。短時間に色々なことが起こりすぎたのだ。思考をまとめることすらままならなず、頭の中に霧がかかっているかのようだ。
「どうやら君たちには複雑な事情があるようだな」
 俺とツヴァイクの一部始終を黙って見守っていたデュークが、重苦しい沈黙を破った。
「まあな……どこから話したらいいのかわからねえよ」
 デュークは今度はテラに声をかける。
「君も、彼からは何も聞いていなかったのか」
「知りませんでした。なにも」
 壁に背をくっつけて床に座り込んでいたテラが力無く答える。どうやら彼も初めて知らされる話であったらしい。

「……俺、お前に協力するよ」
 これだけはいま伝えようと、俺は意を決してデュークに告げた。
「勝ち目が見えなくたって、何もせずにはいられないんだ。その結果痛い目を見たとしても、俺は平気さ」
 デュークは目を大きく見開き、それから頭を深く下げた。
「君の勇気に敬意を表する」
 これからどうするのかと俺が尋ねると、デュークは「王都へ向かおう」と言った。
「私の仲間が城下町にいる。君の妹もそこにいるんだ、ゼロ」
「妹……アイリスが? 生きてるのか!」
 俺はつい声を荒げてしまった。
「お付きの青年と一緒に城下町で匿われていたようだ。先ほどは君に説明しようとしたところで話が途切れてしまった」
「今すぐそこへ行きたい。俺を連れて行ってくれ」 
 デュークは頷く。俺は床に座るテラに向けて、「お前はどうする? テラ」と声をかけた。
「君たちについて行く」
 意外にも、テラは躊躇うことなく承諾した。俺はもう一度問いかける。
「あいつの後を追わなくていいのか」
「追いかけようと思えなかったんだ……どうしてだろうね」
 テラはそう言うと、彼がツヴァイクと共同で使う部屋から何かを持ち出してきた。それはあの雨の日、廃小屋から持って帰ってきた宝石だった。いまは光を失い、冷たい。
「ひとつはツヴァイクが常に持ってるはずだ。これは僕が持っておく」
 手のひらに乗せた宝石を、テラはぎゅっと握り締めてみせた。
「そうすれば、繋がっていられる」

 家を出て少し歩いた場所で、デュークの仲間の荷車と合流することができた。王宮軍に目をつけられているデュークと俺は積み荷を装った箱の中に隠れ、座席にはテラが座る。馬を操るのは、オリガと名乗る金髪の若い女性だ。テラとオリガは世間話をするふりをして、周囲の様子をそれとなく俺たちに伝えてきた。オリガは関所の兵士の信用を得ているようで、難なく突破することができた。
「あっさり通れるんですね。中も確認せずに」
「そんなもんよ、末端の実働部隊なんて。たとえ軍の兵士が見張りについていたとしても、私がいれば何とかなる。……あと少しだよ。辛抱してな」
 ふたりの会話や周囲の騒めきを聞き、俺はいま、城下町に足を踏み入れているのだと実感する。人々が行き交う声や音が次第に大きくなる。風に乗ってどこからか音楽も聞こえてくる。
 賑やかで、それでいて恐ろしさも感じる喧騒だ。もう後戻りができない、大きな渦の中に足を踏み入れている予感がした。 

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